E5系の1年間を振り返って
2011年3月5日に東北の地を新たな車両が走るようになりました。しかし、1週間が経たないうちにあの震災が起こってしまい、当分の間本領発揮できない状況に・・・
それでも運転を再開した後は多くの人に迎えられ、注目の的となっていきました。
そして震災から1年が経過し、現在ではさらに活躍の場が広がることとなりました。そんなE5系の1年間を振り返ってみたいと思います。
デビュー最初の日は某所での俯瞰でした。確かこの日にもトラブルがあったようで・・・(汗)
震災前に撮った最後の姿。実はこの日にも三陸沖で大きな地震が起きていました。
そして運命のあの日を迎え、E5系は一度運用離脱し、約1か月半後・・・
福島〜仙台間が復旧し、ようやく緑の車両は運転を再開しましたが、秘めた性能は当分封印されることに。
この時は我が愛車の「つばさ」が最も優等列車な列番を名乗ることとなりました。
復旧は徐々に進んでいきましたが、福島〜一ノ関間は最後まで時間が掛かりました。
9月23日からはようやく通常ダイヤに戻り、長期間にわたって封印された性能を取り戻しました。
また量産先行車であるS11も本格的に試運転を再開しました。
一方で自分はこの時は、E3にばかり浮気してましたが・・・w
11月からはE3との併合運転も始まると言うことで、S11+R21以来の試運転も行われてきました。
E5系の量産車も徐々に増えていき、現在ではU12まで増備されました。
E5系が増加していくのに対して、最古の200系は活躍の場を狭め、とうとう世代交代の時を迎えてしまいました。
現在ではK21、48、49の3編成が運用離脱、廃車となっている様です。200系の引退カウントダウンもいよいよ始まってしまいましたね(汗)
ある意味では最も注目されるR1との併合運転。今後S11が量産化した際には量産先行車同士の併合運転も楽しみですね。
こんな感じでE5系の1年間を振り返ってみましたが、運用開始日から多くの困難が待ちかまえているとは誰も思ってもみなかったことでしょう。あれだけの被害を出しながら、脱線事故はK25の意志を引き継いだJ69のみだったと言うことで、安全性を改めて証明したことは素晴らしい事だと思います。200系を引き継ぐ者として、これからも新幹線の定時性・利便性・安全性を伝えていって欲しいですね。
また、本来ならば九州新幹線も開業し、鹿児島から青森までが新幹線で繋がると言う矢先に今回の震災が起きてしまい、関係者各位の多大な努力により、4月中に無事に繋がりました。「つなげよう日本」のステッカーには早急に繋げたいと言う思いも含まれているのではないかと個人的には思います。